真鍋良一先生が、興味深い考察をしています。
人間が一生涯に読みうる本は5000冊が限度とのこと。
一年は52週なので、仮に50週として毎週1冊ずつ読んだとしても50冊です。
10年かかってようやく500冊です。
すると5000冊というのは相当な勉強家であるか、相当長生きしないと無理ではないかと。
フランス語の辰野隆先生が大学を定年でやめるときに蔵書を整理してみたら、400冊だったので我ながら不勉強にあきれたと書かれてあったらしいのですが、それでも400冊はすごいものです。
そして、仮に5000冊読める人がいたとしても、よく選択して良書を読まないと、努力が無駄になってしまいかねません。
自分の塾では本棚に相当な数の英語学習本がありますが、よく手にするもの、あまり手にしないものと、はっきりしています。
新書サイズで一日で読み切ってしまえるような本もたくさんありますが、実は1回しか読まないと内容を忘れてしまいます。
試しに1回だけ新書を読み、一年間ほど本棚に寝かせたとしましょう。そして、「そろそろブックオフに売ろう」と思い、中身を久しぶりにパラパラめくるとどうでしょう。
ほとんど何も覚えてなくて愕然とします。
これなら売らずに今からまた読み直した方がいいんじゃないかと。
つまり、本は何度も読まないと血肉化しないのです。良書は最低でも30回は読み直し、できれば人にも説明し、そこに書いてあることを自分のブログなりツイッターなりで引用して、アウトプットしないと本当に自分のものにはならない。
人に説明できる分しか自分の持ち物になっていないのです。
そう考えると1回しか読まない本というのは、新聞や雑誌のように、情報との一期一会の読書になっているといえます。
自分でも「今年は頑張って読んだ。これなら人に内容まで説明できる」といえる読書は、10冊あるかないかです。
「内容までは説明できないが、とりあえず読んだ感覚はある」ものを含めれば20冊程度です。それも空き時間に喫茶店に行き、必死に黄色いマーカーで線を引きながらの読書をしてです。単語帳のような本であれば、半年から1年かかってやっとその1冊を終える感じでしょうか。
そう思うと、読むべき対象はかなり慎重にならざるを得ません。
しかしあまり読めていないからと悲観する必要はありません。学者でさえ400冊です(難しい学術書がメインだとは思いますが)。
それに現在は、日本人の二人に一人が月にマンガも雑誌も1冊も読まない時代だと言われています。月に1冊でも読んでいれば上位半分。月に5冊も読めば、上位数パーセントの読書階級に入るのです。
焦らずにしっかりと良書を選び、なんども繰り返し読みたくなるような本と出会うのが大切だと言えます。量より質といえるかもしれません。