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受験を通じて得られるもの

大学受験を通じて得られるものは、なにも「学歴」だけではありません。

 

「娯楽」が手に入ります。

分かりやすく言うと、読める本が一気に増えます。

 

たとえば、英語がまったくわからない人が新宿の洋書売り場Books Kinokuniyaに行ってもさほど楽しめないと思いますが、英検準1級以上の実力をつけていれば一気に楽しい場所に変わります。

 

変な言い方ですが、私たちがスマホを手にしてYahooニュースを読んでて面白い、これにアクセスできなくなったら大変だと感じるのは、小さいころに日本語の読み書きを頑張ったからに他なりません。


これに似たようなことが「言語が消滅する前に」という本でも述べられています。

 

たとえば、機械翻訳やAIが世界を席巻するようになると外国語を学ぶ必要などなくなるのではないかという指摘が一部であります。

 

そんな中で、千葉雅也氏は「古い資料を読み解くとか、17世紀や18世紀に一体なにがあったのか考えるとき、言葉の意味がどれだけズレたかとか、今からは全く推測もできないような言葉の使われ方をしていたとか、そういう言語の他者性を通して歴史のリアリティに触れる経験は、外国語を学ばなければできないこと」と述べています。

 

また、千葉氏は勉強の本質とは「別の言葉遣いを覚えること」だとも指摘しています。自分が持っているボキャブラリーと全く違うボキャブラリーの中に入っていく。ボキャブラリーが変わるとは、考え方が根底から変わることであり、それが変身なんだと。

 

確かに英語しかできないアメリカ人が、ガイドブックで日本のことを英文で読んだだけで「日本のこころ」を理解できたかというと相当怪しい。

 

日本語の「敬語」と「ため口」の違いを理解せずに、日本について理解できたとは思えないのです。理解できるのはあくまでも表面的な事柄です(英語には敬語という概念はありません。つまり常にタメ口のような感覚です)。

 

英語と日本語、両方学ぶことで初めて文化の違いが見えるようになります。

 

 

もう一つ、国分功一郎氏から面白い指摘がなされています。

 

それは「孤独の価値」についてです。

 

現代は孤独のことを「ぼっち」と呼んだり恥ずかしいものであるかのように取り上げる傾向があります。

 

しかし、勉強は孤独と切り離せない作業なのです。

 

孤独な時間がなければ人は何かを成し遂げることはできない。それを伝えるのも教師としての大切な役目だと。

 

SNSで「いいね」の数を競いあったり、Facebookで友達の数を競い合ったりしていると、気づかないうちに「孤独はいけないものだ」と認識し始め、孤独な作業でしか鍛えられないものが遠ざけられてしまうのではないでしょうか。

 

最近の浪人を回避する傾向も、どこかでそのような同調圧力がかかっている気がしてなりません。

 

ちなみに、大学での勉強というと大学から与えられる授業か、それとも難関資格である司法試験や公認会計士だけをイメージし、それ以外の読書や語学の勉強といった作業が疎んじられていないか、一度立ち止まって考えてみるのも意味のあることだといえます。

 

話が若干それましたが、勉強を通して得られるものは、新しいボキャブラリーの獲得、新しい概念や、新しいものの捉え方ができるようになること、そしてそれらによってアクセスできる書物が一気に増えることを意味します。

何も合格という事実だけが残るわけではないのです。

 

そういう意味でも、仮に大学にラクして入る道があったとしても、受験勉強を頑張った者にだけ与えられる娯楽ご褒美があることは強調したいと思います。

 

年齢を重ねたときに唯一楽しめる娯楽がタバコやお酒やギャンブルしかないのでは寂しいことだと思うのです。本当の娯楽は初期の段階に努力を要求します。

 

受験勉強のその先にあるのは「学歴」だけではなく、「難しい書物へのアクセス権」もあるのです。頑張った分だけ読める書物の幅が広がります。

 

そして、読まなければならない膨大な書物の存在に気づくと、暇で退屈になることが一切なくなります。付き合うべき友人も選ぶようになり、時間の使い方もシビアになります。

頑張ったその先で、「気づき」が得られるのです。

 

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